さらに、「ただよふ」という言葉から、白鳥が空中や水中で自然な動きにただ身を任せて揺れ動いている様子が想像できます。 棺桶のような特殊潜航艇の訓練もはじまっている。
青春の愁いを含んだ孤絶感をうたった牧水の一首が、空、海に散華する若き命を暗示していると読むのは、いかにも不幸な時代である。
何が善かは神によって定められ遵守しなければならない。
若山牧水はどこからこの景色を眺めたの? 「空の青」「海のあを」って、どんな色? 「白鳥」ってどんな鳥? 「白鳥」はどんな姿で何をしている? 「白鳥」は何匹いる? そんなことを意識し、短歌の言葉を手がかりに、一枚の絵を完成させてもらいました。
🤑 そのような背景を考慮すると「白鳥はかなしからずや」には、いくら愛情を注いでも応えてくれない小枝子への問いかけのような気持ちを詠んでいるのかもしれません。 真理を訪ね求めながら到達することができなかった。
でも、あえて孤独でいようとも思います。
その後自然文学主義を代表とする歌人に成長した牧水は、旅を愛し生涯にわたって各所で歌を詠み、今でも日本各地に歌碑が残されています。
回心してからのパウロは信仰の豊かさにより人間的欠陥が解決され、もともと備わっていた真理を求める内面の力が増幅されて、福音を伝える伝道旅行に生涯を費やしました。 ここで作者である牧水が伝えたいのは 自分の哀しさなのですよ。
各自が無記名で提出した中にこの牧水の一首があったという。
⚐ また、空と海の関係性については、順序や表記の差はあるものの全くの対句になっているため、白鳥のいる場所は空と海との境界の海面にある、すなわち浮いていると取りたい。 この歌の場合は「かなしからずや」の「や」が終止形で、一旦歌の流れが句切ることができるので 「 二句切れ」となります。 海岸に面した通りから、空と海全体を遠く眺めていたと解釈した生徒もいれば、 牧水は船に乗っていて、近くで見た白鳥が印象的であったのだと解釈する生徒もいました。
9つまり、神に触れられた瞬間に、パウロは無限の存在である神の前にまったくひれ伏さざるを得なくなりました。
かなしからずや、というのは、反語ないしは疑問の意味の可能性があり、反語の場合、「悲しくないのだろうか(いや、きっと悲しいだろう)」と、より悲しみを強調する意味合いとなります。
❤ 自在なようでどうすることもない漠然とした状態に、 茫漠たる青春を正確に捉えています。 真っ青な青い空に白いカモメが舞うように飛んでいます。
10そうして、彼も旅をつづけました。
この歌での対比は次の三つが挙げられます。
👐 たとえば、海や空や鳥について詠まれた牧水の短歌を、よく分析しなければなりません。 結婚を考えるほど小枝子に強く惹かれていた牧水でしたが、小枝子はなかなか受け入れることはありませんでした。 海や空に、あえて楽しそうなものを描き足してくれた生徒もいました。
カモメは白い羽の鳥ですから 青い空を飛んでも、青い海に浮かんでも、 その景色のなかに同化することはありません。
早稲田大学時代には北原白秋とも友人関係を結んでいたそうな。
集団でいれば、集団の価値観があります。
また声調上もその方がふさわしいと思われる。